銀鏡神社(しろみじんじゃ)

銀鏡神社(しろみじんじゃ)社殿

銀鏡神社(しろみじんじゃ)

神話とのゆかり

天孫降臨を果たした瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)に一目惚れをして結婚を申し込みます。喜んだ父の大山祇神(オオヤマツミノカミ)は妹の木花咲耶姫とともに姉の磐長姫(イワナガヒメ)も送ります。しかし、瓊瓊杵尊は容姿の醜い磐長姫を娶らず大山祇神のもとへ返してしまいます。大山祇神は子孫繁栄のため、岩のようなゆるぎない永遠の命の象徴である磐長姫を送ったのですが、瓊瓊杵尊が娶らなかったため、それ以降の子孫の命は限りあるもとなりました。この話が人が短命であることの起源とされています。
返された磐長姫は父の大山祇神からもらった鏡で自分の姿を写してみました。その姿は龍のような醜い姿で、深く嘆き悲しんだ磐長姫はその鏡を遠く投げ捨てました。すると鏡は銀鏡神社の東の龍房山(りゅうぶさやま)の頂上の大木に引っかかったため、それ以来この山を鏡山と言うようになりました。また、龍房山の鏡の光りが村里を照らし、夜でも昼のように白く輝いていたので、この地を白見村と呼ぶようになり、その後、その鏡が銀の鏡であったことから銀鏡(しろみ)村と言いかえられたそうです。村人たちはその鏡を持ち帰って祀り、現在も龍房山と銀の鏡は銀鏡神社の御神体として祀られています。
その後、磐長姫は一ツ瀬川を遡り現在の西米良村の小川地区へと至りそこで生涯を終えます。この地にて田を開墾した際、できた米が美味しく「良米(よねよし)」と喜ばれたことから「米良(めら)」という地名が生れたとも伝わっています。

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銀鏡神社鳥居銀鏡神社一の鳥居

神社の由緒

この地周辺は縄文時代から土着民が生活を営んでいたと考えられており、南北朝時代には肥後の菊池一族の石見守重為が西征将軍宮懐良親王(かねよししんのう)の子爵松丸を奉じて入山し、米良氏を名乗ってこの地を治めたと伝わっています。
初代銀鏡城主となった米良石見の守重続公が1489年(長享3年)に中島に銀鏡神社を創建し、その後1675年(延宝3年)に現在の場所へ移築されています。さらに1892年(明治25年)に本殿・弊拝殿を新設するにあたり、「銀鏡神社元宮」が神楽殿の横に再移築されています。
御祭神は磐長姫、大山祇神、懐良親王の三柱で、二面の鏡と龍房山が御神体となっています。鏡の一面は磐長姫が投げたとされるもので、もう一面は懐良親王が後醍醐天皇より賜ったという割符の鏡で、この二面は県指定重要有形民族文化財となっています。また、毎年12月12日から16日に奉納される銀鏡神楽は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
御祭神の磐長姫は、岩のように頑強で永遠を象徴する神様として、不老長寿・健康長寿のご利益があるとされています。

拝殿内

みどころ

長く続く参道の階段

一の鳥居の手前の手水舎で清めたあと鳥居をくぐると一直線に伸びる長い石の階段があります。周囲には樹齢の長い大木がたくさんあり、長い歴史を感じさせてくれる参道です。

石の階段一直線に続く参道の石階段

御神木のイチイ樫の根株

社殿が創建される前は、御神体の龍房山そのものを祀っていました。今の本殿の場所がその遥拝所であり、生い繁っていたイチイ樫が御神木でした。1930年(昭和5年)に倒伏したため、本殿の左奥にその根株を安置し、雨に濡れぬよう屋根を葺いて大事に祀ってあります。樹齢は七百年以上あったそうです。

御神木のイチイ樫の根株祀られているイチイ樫の根株

銀鏡さるた古道のイチイ樫の巨木

本殿がある境内の手前の参道石階段から左手に「銀鏡さるた古道」という小道があります。進んで行くと樹齢300年を越える巨大なイチイ樫の木があります。この木の上からは今でも山の神「カリコボーズ」の声が聞こえてくるそうで、「カリコボーズの宿り木」と呼ばれています。
※「カリコボーズ」は、古くから米良地方に語り継がれる村の守り神的な存在です。

カリコボーズの宿り木カリコボーズの宿り木

市指定文化財銀鏡神社元宮

現在の社殿がある場所にあった本殿です。もともとは1489年(長享3年)に米良石見の守重続公が中島に建立したものを、1675年(延宝3年)に現在の社殿の場所へ移築し、1892年(明治25年)に社殿を新設する際にここへ再度移築されています。
2007年(平成19年)には構築物としての価値が認められ、西都市より市の文化財の指定を受けています。

銀鏡神社元宮銀鏡神社元宮

境内社の神様

右から順に「山之神社」「若宮社」「八幡社」「矢村社」が祀られています。
「山之神社」には狩猟や山の産物を守る神様が祀られています。「若宮社」には神武天皇が東征された時、八咫烏に身を変えて天皇を導いた賀茂建都美命(かもたてつみのみこと)が祀られています。「八幡社」はもともと八幡山にあったものを田地開拓のため銀鏡神社に遷移したものです。「矢村社」は西征将軍懐良親王の随従武将鈴木惟継が一緒に持ってきた氏神です。後に姓を「濱砂」に改め、銀鏡神社の宮司濱砂家の元祖となっています。

境内社の神様境内社の神様

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御朱印

銀鏡神社の御朱印です。社務所は社殿のある境内の右側の鳥居を抜けて出たところにあります。元宮や神楽殿があるまだ先です。ただし無人の社務所なので、備え付けの「御用命袋」に、届け先等の情報を記入し志納料と共に「御用命箱」へ入れます。
社務所の玄関口に説明書きがありますので現地でもう一度ご確認ください。

銀鏡神社御朱印銀鏡神社御朱印
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神社の概要

住  所:宮崎県西都市大字銀鏡492番地
電  話:(0983)46-2123
御 際 神:岩長姫尊(いわながひめのみこと)
     大山祇尊(おおやまつみのみこと)
     懐良親王(かねながしんのう)
御 祭 体:霊峰龍房山・御神鏡
御 神 徳:縁結び・縁切り・延命長寿
創  建:1489年(長享三年)3月16日

アクセス

西都市内から西米良方面へ続く国道219号線を進みます。西米良村へ入る手前の八重と言う場所から右手の県道39号線へ入っていきます。「銀鏡神社」の看板が出ていますのでお見逃しなく。
右へ曲がって道なりに約9km、車で15分ほど進むと東米良の集落の右手に「山の駅」という建物が出てきますので右に進んで行きます。ここからは道も狭くなりますが銀鏡神社までは案内看板が出ています。
駐車場は銀鏡神社を少し過ぎたところの右手にあります。

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