木花神社

木花神社社殿

木花神社(きばなじんじゃ)

神社の由緒

木花神社の名前の由来は木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)に由来するとも伝わっているように、御祭神は木花咲耶姫と天孫降臨をされた瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)です。
ニニギノミコトと結婚したコノハナサクヤヒメは一夜にして身籠ります。夫のニニギノミコトから他人の子ではないかと疑われますが、コノハナサクヤヒメは神の子なら火が燃え盛る中でも無事生れるはずと産屋に火をつけて出産に挑みます。無事三皇子を出産し疑いを晴らすことができました。そのとき産屋として使った「無戸室(うつむろ)」の跡や産湯に使われたとされる「霊泉桜川」などが境内に残っています。
創建については不詳ですが、1562年(永禄5年)に飫肥領主の伊東氏が記した飫肥紀行の中に木花神社の記載があるので、そのころにはすでにあったとみられています。
両御祭神の御神徳により様々なご利益がありますが、武運長久や安産祈願については終戦まで参篭する風習があり、特に安産の神様として厚い信仰を集めています。

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木花神社一の鳥居 木花神社二の鳥居

みどころ

無戸室(うつむろ)

コノハナサクヤヒメのご懐妊について、疑いをかけられた姫は、お腹の子が天神(あまつかみ)の子であることを証明するため、出産にあたって戸が無い産屋を建てて、粘土で塗りふさぎ、火をかけて三皇子をお生みになりました。
火が燃えさかる時に最初に生まれた子が火照命(ホデリノミコト=海幸彦)、炎の勢いがより強くなった次に生まれた子が火須勢理命(ホスセリノミコト)、最後に火が鎮まりかけてきた時に生まれた子が火遠理命(ホオリノミコト=山幸彦)です。
高天原から降臨された邇邇芸命(ニニギノミコト)、この地でお生まれになった火遠理命(ホオリノミコト=山幸彦命)、そして山幸彦命の子の鵜草葦不合命(ウガヤフキアエズノミコト)は日向三代として、日本建国の礎を築いていきました。

無戸室(うつむろ)

霊泉桜川

コノハナサクヤヒメが三皇子をお生みになったとき産湯に使われたと伝えられている霊泉です。
藩政時代飫肥藩主の伊東氏は木花神社参拝の際には必ず愛飲したと伝えられています。また、地元の住民の飲用水としても重宝されてきました。
この霊泉桜川にはこのような伝説も残っています。
昔、この泉のほとりに貧しい夫婦がいました。二人の子供の桜子は、それを見かね自ら人買いに身を売り、密かにこの地を離れました。母親はそれを嘆き悲しみ、我が子を探し求めて旅に出ます。三年の後、常陸の国桜川(現在の茨城県桜川市)で僧になった桜子にめぐりあい、母子ともこの地に帰り幸福に暮らしたという。
桜子はコノハナサクヤヒメに祈願して授かった申し子であったので、ご神霊のご加護によって我が子を探し当てることができたと伝えられています。
この伝説は、謡曲「桜川」として今でもこの地に語り伝えられています。また、茨城県桜川市の櫻川磯部稲村神社では毎年桜が咲くころ謡曲「桜川」が公演されています。

霊泉桜川

木花咲耶姫の像

木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)は、日本神話に登場する女神で、非常に美しく桜の花のなの語源とも言われています。桜の如く華やかに咲いて、桜のように儚く散った絶世の美女として知られています。
コノハナサクヤヒメは、幅広いご利益・ご神徳がある神様として日本全国の神社に祀られていて、火難除け、安産・子授けのほか、農業、漁業、織物業、酒造業、海上安全・航海安全などに関する御祭神です。
宮崎県では、西都市にある都萬神社(つまじんじゃ)がコノハナサクヤヒメがニニギノミコトからプロポーズさを受けて、日本で最初に結婚式を挙げた地として有名です。

木花咲耶姫の像

境内の景色

木花神社は宮崎県宮崎市の南部の木花地区にある標高40mほどの丘の上に鎮座されています。神社には「無戸室」や「霊泉桜川」など、参拝者は少ないものの神秘的な力を感じさせるパワースポットが多くあります。写真の大木は龍神を思わせる姿を現しており、神秘的な力を感じさせます。(夏場は枝葉が生い茂るので少し見にくいです)
また、境内からは人気の観光地の青島地区を含む海岸線が一望できます。

龍木 境内からの眺め

御朱印

御朱印は拝殿のところに書置きがあります。お賽銭箱へ初穂料300円を入れて頂けます。日付についてはセルフで入れるようになっています。

木花神社御朱印
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