都萬神社(つまじんじゃ)

都萬神社社殿

都萬神社(つまじんじゃ)

神話とのゆかり

天孫降臨により日向の高千穂の峰に降り立った瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は、国づくりを進めていきます。ある日、笠沙の岬を散歩しているときにとても可憐で美しい女性に出会いました。その女性が日本神話で一番の美人と言われる木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)です。そして、そのあまりの美しさに一目ぼれをしたニニギノミコトは、コノハナサクヤヒメに結婚を申し込みます。「あなたを妻にしたい」言ったことが、ここ都萬神社の名前の由来となっています。
結婚を申し込まれたコノハナサクヤヒメは、自分では答えられないと、父である大山津見神(オオヤマツミノカミ)へ相談します。天照大神の子孫であるニニギノミコトからの求婚を喜んだ父のオオヤマツミノカミは、コノハナサクヤヒメの姉である石長比売(イワナガヒメ)も一緒に結婚させるためニニギノミコトのところへ送ります。
ところが、ニニギノミコトは容姿の醜いイワナガヒメとの結婚を断り、送り返してしまいます。オオヤマツミノカミが二人を一緒に送ったわけは、コノハナサクヤヒメを娶れば、美しい花のように子孫が繫栄し、イワナガヒメを娶れば、岩のように頑丈な永遠の命が得られることを願ったためでした。しかし、イワナガヒメと結婚しなかったことで、ニニギノミコトより子孫は、美しい花が咲いて散るように短命となってしまいます。神の子孫である天皇にも「寿命」ができた話です。
都萬神社は、ニニギノミコトがコノハナサクヤヒメに結婚を申し込んだ地、また、日本で初めて結婚式を挙げた地として伝わっています。

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都萬神社一の鳥居

神社の由緒

創建の年代は不詳ですが、周辺地域には木花開耶姫命と瓊々杵尊が新婚生活を送ったという伝承地が残っていて、「続日本後紀」に仁明天皇承和4年(837)8月の条に「日向国子湯郡妻神宮社に預かる」と記載が残っています。更に延喜式神名帳には日向国4座の内、児湯郡2座として都農神社とともに都萬神社が記載されています。神社の話によると、これらの文献にみえるより更に古く、奈良時代には存在していたのではないかということです。
社名について、「妻万」とする説が古くからあり、読み方も「つま」のほか「さいまん」とする説があり、地元では「さいまんさま」として親しまれています。
御祭神は木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)で、ニニギノミコト結婚し3人の子供を生んで立派に育てたことから、縁結び、安産、子育ての神として信仰が厚く女性の参拝者も多く訪れます。
毎年七月七日には、ニニギノミコトへの嫁入りの様子を再現する七夕更衣祭がおこなわれます。この祭りはコノハナサクヤヒメの御神象に装飾を施す大変珍しい神事として残っています。 境内社には父であるオオヤマツミノカミを祀る「大山祇神社(おおやまつみ)」があります。

神社二の鳥居

みどころ

日本清酒発祥の地

社殿に向かって右手に「日本清酒発祥の地」の碑があります。コノハナサクヤヒメが三皇子を出産された時、母乳が足らなくなった時に、お乳の代わりに甘酒を与えたという言い伝えから清酒発祥の地とされています。
また、「日本書紀(720年編纂」に、コノハナサクヤヒメが占いによって定められた田を開き、収穫された稲で酒と飯を造られ、天照大神にお供えになり、自らも召し上がったと記されています。お米を原料にして造った酒の最古の伝承で、神社近くには「酒元(さかもと)」という地名の集落も残っています。

日本清酒発祥の地の碑

千年楠の洞洞木(どうどうぼく)

社殿に向かって右手にある都萬神社の境内に生える大クスの一部で造られた木洞で、「慎み」・「畏まる」・「通る」の意から洞洞木と命名されています。(「夢叶う」・「幸せ招く」・「願いが叶う」が通る木洞)

<通り方>
入り口の前で一礼の後、願いごとを心の中で申しつつ木洞を潜り抜け終わって一礼します。

千年楠の洞洞木

日本一の大太刀

全長約3.5m、重さ約64kgもある大太刀。第十二代景行天皇が熊襲御親征のため都於郡高屋行宮に留まった時に太刀を奉献し賊徒平定を御祈願されたことに倣って、1450年(宝徳二年)に日下部成家が5人の刀鍛冶に25日間かけて鍛刀させ奉納したと伝えられています。

日本一の大太刀

妻のクス

樹齢約1,200年という大クスは、「妻のクス」として国指定の天然記念物になっています。
昭和42年と平成2年の2回にわたり樹幹の空洞部から出火したり強風で樹幹を失ったりしていますが、樹勢を取り戻しています。
樹齢1200年、幹回り986㎝、樹高18m

妻のクス

生産河(しゅさんご)

神社南側の「妻のクス」のそばにある水が自然に湧き出ている泉です。滑らかな大きい石をなでると子宝に恵まれるという言い伝えがあります。

生産河

大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)

本殿右奥に鎮座する都萬神社の摂社です。御祭神のオオヤマツミノカミは、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの父であり、日本神話の「神生み」において伊邪那岐命と伊邪那美命の間に生まれた山の神様です。
古くより林産業者の崇敬厚く、旧暦正月、五月、九月の十六日は「山の神祭り」として神事が続いています。また、コノハナサクヤヒメが無戸室に火を放ち三皇子をお産みになられた際にオオヤマツミノカミがすぐさま駆けつけ火を鎮められたとの故事により、火鎮の御神徳も厚く、現在では、十二月初旬に市内遠近より消防署員、消防団員が集り祭典を行っているそうです。

大山祇神社

お乳の神様

都萬神社の御祭神コノハナサクヤヒメは三つ子の皇子を無戸室(うつむろ)の産屋でお生みになり、母乳だけでは足りないので、狭田の稲で甘酒をお造りになり、これをお乳代わりとして御養育されたと伝わっています。今でも秋の例大祭には甘酒を造って奉献する習慣が残っているそうです。
出産して母乳の足りない方はこの神社にお参りして祈願され、お乳が出るようになったら甘酒をもってお参りされることになっているそうです。
妊産婦の方は、産気づかれたら護符とお石を枕もとに置いて、先にご符を水で飲んで、お産の重い時はお石をしっかり握りしめ、手の熱がお石に伝わりあたたかくなるころ無事出産すると伝えられています。

お乳の神様

御朱印

都萬神社の御朱印です。写真は墨書きの御朱印で、このほかに書置きの御朱印が3種類あります。写真と同様の①通常御朱印(社紋の桜の透かしが入っています)、御祭神木花開耶姫命のおことばが記してある②御祭神御教御朱印、御祭神木花開耶姫命と三皇子の御姿がお写してある③御神影御朱印です。
初穂料は500円、受付時間は9時~16時です。

都萬神社御朱印
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アクセス

西都市の中心部にありますが駐車場がややわかりにくい場所にあります。宮崎市方面から国道219号線を進んで行くと都萬神社が見えてきますが、神社手前の信号のある交差点を左折し300mほど進むと神社の敷地が見えてきます。そこから右に入る狭い小道がありますので、そこを入って100mほど進むと左手に参拝者用の駐車場が見えてきます。西米良方面からは神社を過ぎたところの信号のある交差点を右折します。

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