皇子原神社

皇子原神社拝殿

皇子原神社(おうじばるじんじゃ)

神社の由緒

御祭神神武天皇(御幼名:狭野尊さののみこと)の御生誕の地と伝えられています。拝殿後輩にある「産婆石(うべいし)」付近で御生誕されたと言われており、母である玉依姫の命が神武天皇を出産された産屋跡ともされていて、安産をもたらすと信仰されています。
周辺には、皇子滝(おうじたき)、皇子川原(おうじかわら)、御池の皇子港(おうじこう)などの地名が残っており、神武天皇の御生誕の霊跡とされる地と言われています。 皇子原神社は1598年(慶長3年)まで狭野神社が鎮座しており、狭野神社の元宮とされています。
また、1920年(大正9年)に昭和天皇が皇太子の時に御参拝されており、歴代皇族のご崇敬も篤く、1945年(昭和20年)までは国家行事として天孫降臨祭がおこなわれていました。

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神社鳥居 拝殿

みどころ

産婆石(うべいし)

神武天皇の母である玉依姫の命が出産時にしがみついた石とも言われており、ここが産屋跡とも伝えられています。
表面をなでると安産ができると伝えられています。
産婆石は霧島の磐座信仰のミステリー「北斗七星」をかたどる星の一つを成していて、古代からの山岳信仰の不思議な力を感じさせます。
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産婆石

御腰掛石

神武天皇がこの石に腰掛けられて、日本建国の礎を考えられたと伝わる石です。参道階段の中段ぐらいのところを本殿に向かって右側に2~3m入ったところにあります。参道に案内表示が無いので分かりにくいですが、大きい木の根元のところにあります。

お腰掛石

古墳時代の生活

皇子原神社周辺は5世紀後半から6世紀前半に作られた古墳が6基あります。そのうち1号古墳は神社社殿の下にあります。
社殿裏の広場に行くと古墳時代の子供の姿の像と茅葺屋根の建物があり、当時の生活が想像できます。子供の像は神武天皇とその兄弟をイメージして作られたものと思われます。

子分時代の生活

彼岸花

皇子原神社がある皇子原公園では毎年9月中旬~下旬になると公園全体が彼岸花で真っ赤なじゅうたんを敷き詰めたようになりとても見事です。高原町の公式サイトでは310万本と発表されています。
写真は少し時期が遅かったようで、だいぶ散った後です。

彼岸花

アクセス

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