宮崎神宮

宮崎神宮本殿

宮崎神宮(みやざきじんぐう)

神話とのゆかり

日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)と玉依姫(タマヨリヒメ)の第4子である神日本磐余彦天皇(カンヤマトイワレビコノスメラミコト)=神武天皇は、宮崎県高原町の皇子原(皇子原神社)で生れて、幼少期を狭野命と名乗り狭野神社(同高原町)で15歳まで過ごします。その後ここ宮崎神宮に移り皇太子となり日向国を治めました。
まだこのころは全国を統一するような国があった時代ではなかったため、神武天皇は兄弟と話し合い、皇威を広めようと45歳の時に都を中央に移すべく東征に出発します。
宮崎神宮を出発した神武天皇は、都農神社へ寄り武運長久の祈願をおこない、日向市美々津の港(立磐神社)からお船出され、同じく日向市の大御神社(御祭神:天照大神)で航海安全を祈願されたと伝わっています。
その後の東征の経路は、宇佐(大分)→筑紫(福岡)→安芸(広島)→吉備(岡山)→浪速(大阪)→紀(和歌山)→熊野(三重)→宇陀(奈良)→橿原(奈良)となっています。東征へ出て6年で天かを統治されたと伝わっています。

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宮崎神宮鳥居

神社の由緒

宮崎神宮は神武天皇の孫にあたる健磐龍命(たけいわたつのみこと)が九州の長官に就任した際に鎮祭したのが始まりと伝わっています。江戸時代までは武家を中心とする封建社会の影響力が強く宮崎神宮が全国的な崇敬神社へと成長したのは明治以降になります。明治時代前までは「神武天皇宮」や「神武天皇社」と呼ばれていたようで、明治6年に県社に列せられて「宮崎神社」と改称しました。その後社格の昇格に伴い明治11年に「宮崎宮」となり、大正2年に現在の「宮崎神宮」へと改称しています。
現在は4月の神事流鏑馬や10月の御神幸祭(神武さま)などの神事がおこなわれており、宮崎県民の厚い信仰得ています。

宮崎神宮神門

みどころ

五所(ごしょ)稲荷神社

宮崎神宮二の鳥居の手前右手にあります。宮崎神宮の末社で、明治4年に近隣にあった「稲荷神社(下北方)」、地主神社(花ヶ島)、稲荷秋葉神社(下北方)、水分神社(境内)、事代主神社(境内)の5社を相殿に合祀しています。
創建は不明ですが、古くより農業、産業、食物、商売繁昌、諸業繁栄の守護神として、多くの人々より崇敬されています。

五所稲荷神社鳥居 五所稲荷神社社殿 社殿をまもる狛犬

古代船「おきよ丸」

全長12mの船の模型で、宮崎県西都市にある西都原古墳群から出土した舟形の埴輪をモデルとして作られています。
東征の船出をするため風待ちをしていたところ、天候が良くなったことから急遽日程を変更して夜明けの早朝に出発することになったため、寝ている美々津の人々を起こしてまわる時に「起きよ、起きよ」と声がけをしたのが「おきよ丸」の名前の由来となっています。
このおきよ丸は、毎年10月に開催される宮崎神宮大祭の御神幸行列(神武さま)で神武天皇や従者に扮した25名が乗り込み行列に加わります。

おきよ丸

オオシラフジ

表参道の中ほどを右手に入ったところの御神池のほとりにあります。宮崎神宮のオオシラフジは、国の指定天然記念物になっていてい、毎年4月の中旬ごろになるときれいな白い花とほのかな甘い香りを漂わせます。
本樹は、中国原産のオオシラフジで、同種では日本で最も大きい樹木だそうです。根周り2.95mで幹が2つに分かれていて西の枝は径1.6m、東の枝は径1.4mあり、西南方向に12.2m、東方向に6.3mもあります。
紫色のノダフジも見事藤棚で花を咲かせますをです。4月の中旬ごろになったら行ってみてください。
ちなみに、「オオシラフジ」は正式な学名ではないそうです。

オオシラフジ ノダフジ

徴古館(ちょうこかん)

宮崎神宮の宝物や書籍を陳列・保存するため、明治42年に建築された木造2階建ての建物です。外壁全体を覆う「なまこ壁」(日本伝統の壁塗りの様式の一つ)が独特の光景を生んでおり、慶応義塾大学三田キャンパスにある三田演説館(国の重要文化財)と非常に似た造りです。(徴古館は有形文化財として登録されています)

微古館

猿蓑塚(さるみのつか)

猿蓑塚は1811年(文化8年)に建てられたもので、松尾芭蕉が1692年(元禄2年)9月に故郷に向かう途中の伊賀越えをする山中で時雨に震える猿の姿を見て「初時雨 猿も小蓑を ほしげりなり」と詠んだ句が基となっています。

猿蓑塚

仁王像

猿蓑塚の横に立つ仁王像。神仏習合の名残か、文献等は何も残っていない謎の仁王像ようです。宮崎神宮のミステリーのひとつでしょうか…

仁王像

表参道の灯篭

境内入口の鳥居から神門まで続く表参道の両脇には宮崎の有名企業から奉献された灯篭が並んでいます。この灯篭は、宮崎神宮のご祭神である神武天皇の崩御2600年の記念事業で設置されたもので左右に50基並んでいます。上部はヒノキ造りで屋根は銅板葺のようです。
薄暗くなった参道に灯篭の明かりが灯されると荘厳で神秘的な景観になります。由緒ある神社の歴史を感じます。

参道の灯篭

神事流鏑馬(やぶさめ)

毎年4月3日に流鏑馬が執り行われます。前日の2日にご神前にて「射手手組定めの儀」という流鏑馬の射手、的を司る的奉行、馬場を管掌する馬場元役など関わる方々が役を定め道具を確認する儀式があり、大淀川河畔の「川原祓斎場」へ向かいお祓いが行われます。
当日は流鏑馬本儀が行われ、武士の装束をまとった射手が、馬にまたがり130間(235m)の馬場を走りながら弓で的を射ていきます。
ちょうど桜の開花時期と重なると見事な景観となります。

流鏑馬の会場 神事流鏑馬の会場となる馬場

宮崎神宮大祭(神武さま)

毎年10月26日に行われる例祭で、終了後の最初の土曜日と日曜日には御神幸祭が宮崎市内で行われます。特に御神幸祭は「神武さま」と呼ばれ、五穀豊穣を祝う秋の大祭として宮崎県民に親しまれています。
祭りの始まりは資料が残っておらず定かではありませんが、1785年(天明4年)の記録には御神幸祭が行われていた記述があるそうです。宮崎神宮では1876年(明治9年)を宮崎神宮大祭が始まった年としています。
御神幸行列は往路と復路と2日間に分けて行われ、神武東征を再現したおきよ丸や獅子舞、太鼓、シャンシャン馬などの行列が宮崎市の中心部をおよそ3時間かけて通っていきます。

御神幸行列御神幸行列(おきよ丸)

御朱印

宮崎神宮の御朱印です。御朱印は「宮崎神宮」と書かれたものと「皇宮神社」と書かれたものと2種類あります。初穂料は300円で、神門手前の参道右手の神符守札授与所にて頂けます。受付時間は開所は年間を通じて午前8時から、閉所は、10月~4月は午後5時、5月~9月は午後6時となっています。

宮崎神宮御朱印
おすすめの御朱印帳

アクセス

周辺の施設

宮崎県総合博物館

宮崎神宮の敷地の一番北側にあります。常設展示は2フロアに分かれていて、1階は「宮崎の森」「宮崎の水辺」「宮崎の大地」「宮崎の生物」「ふるさとの自然」の5つで、2階は「日向のあけぼのに生きる」「古代から近代を生きる」「発展しつづける宮崎」の3つが展示されています。宮崎の自然や生物、歴史などが学べます。

宮崎県総合博物館

民家園

宮崎県総合博物館の裏手にある博物館の展示物の一つです。宮崎の地方独自の建築様式である古民家の中から特に特色のある4棟を昭和47年から53年にかけて移築・復元したものです。およそ150年から200年前に建てられたもので、このうち「旧藤田家住宅」と「旧黒木家住宅」は国の重要文化財、「椎葉の民家」と「米良の民家」は宮崎県の有形文化財にそれぞれ指定されています。

古民家

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