槵觸神社(くしふるじんじゃ)

くしふる神社本殿

槵觸神社(くしふるじんじゃ)

神社の由緒

天照大神より国治めを命じられた瓊々杵尊(ニニギノミコト)は、三種の神器を携え、猿田毘古神(サルタビコノカミ)の先導により天孫降臨を果しますが、その降臨の地が古事記に「筑紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降ります」と記されていて、この地を示していると思われます。
創建については不詳ですが、槵觸神社が鎮座するこの地は、くしふる山と言われていて元々は山自体をご神体としてお祀りしていました。1694年(元禄7年)に社殿が建立され、瓊々杵尊をはじめとする国譲り神話の神々が祀られています。
主祭神は瓊々杵尊、相殿神に武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、天児屋根命(アメノミコヤノミコト)、経津主命(フツヌシノミコト)、天太玉命(アメノフトダマノミコト)が祀られています。
槵觸神社は、古来より武神として信仰され、スポーツ競技や交通安全の神さまとして信仰を集めています。また、天孫降臨の際、御祭神の武甕槌命と建御名方命(タテミナカタノミコト)が行った力比べが相撲のルーツとされています。

>>>宮崎神話が5分で理解できる簡単解説ページ
社殿

見どころ

正面の立派な鳥居

県道50号線から入った駐車場のところに神社入り口となる鳥居が立っています。神社の規模からするとかなり大きな鳥居と思われますが、由緒ある神社であることの証しとなる立派な鳥居です。

神社鳥居

本殿まで続く長い参道の階段

周囲を深い森林に囲まれ、厳かな雰囲気を出しています。階段を一段一段上がるうちに心身ともに清められる思いです。天孫降臨の神々が降り立った地ということで、神々しい力強いパワーを感じます。

参道の長い階段

本殿の飾り彫刻

拝殿から横に回っていくと本殿の建物が見れます。本殿は三間社流造銅板葺で、脇障子に見事な飾り彫刻が施されています。平成2年(1990年)に高千穂町の有形文化財に指定されています。

本殿の飾り彫刻

周辺の史跡

槵觸神社から徒歩で行ける神話伝承に関わる史跡があります。強力なパワースポットとして訪れる方も多いので、槵觸神社参拝と合わせて行かれることをおすすめします。徒歩で200mほどで2か所合わせて500mほどです。
途中足元が悪いので、動きやすい服装、歩きやすい靴でご参拝ください。

四皇子峰(しおうじがみね)

神武天皇とその皇兄弟の五瀬命、稲飯命、三毛入野命の4柱の降誕地とされる聖域です。神功皇后が三韓征伐に際して、7日7夜の戦捷を祈願した場所であるとも伝えられています。
槵觸神社を出て南側(神社を背にして左手)の坂道を100mほど昇ったところに白木の鳥居がありますのでくぐって行くとあります。

四皇子峰(しおうじがみね)

高天原遥拝所(たかまがはらようはいじょ)

瓊瓊杵尊に同行した天孫降臨の神々がこの丘から高天原を遥拝したと伝えられています。凛とした空気が聖域に秘める力を感じさせるような場所です。
四皇子峰からそのまま遊歩道を徒歩で100mほど進んだところにあります。

高天原遥拝所(たかまがはらようはいじょ)

天孫降臨の地の真相

宮崎県には天孫降臨の地について、高千穂町の「槵觸神社」と鹿児島県との県境にある霧島山の「高千穂の峰」の二説あります。それぞれに信憑性のある地名などが残っていて昔から議論が絶えません。それぞれに訪れてみて、真相を確かめてみてください。
霧島山の高千穂の峰の山頂には、伊邪那岐と伊邪那美が国生みをしたと伝えられている「天逆鉾(「天沼矛」の別名)」が突き立てられています。
>>>高千穂の峰(天逆鉾/天の沼矛)

もっと詳しく知りた方は書籍を紹介しますので調べてみてください。

御朱印

御朱印は拝殿の中で書置きが頂けます。初穂料は300円でお賽銭箱へ入れます。また、高千穂神社の社務所では御朱印帳へ記載してもらうことができます。

槵觸神社御朱印
おすすめの御朱印帳

アクセス

延岡方面からの場合は国道218号線の雲海橋を渡り高千穂町に入ったら最初の信号のある交差点を高千穂市街の方へ入っていきます。熊本方面からの場合は国道218号線を道の駅高千穂から降りて神殿通りを市街の方へ進みます。県道203号線(神殿通り)沿いにあります。

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