立磐神社(たていわじんじゃ)

立磐神社社殿

立磐神社(たていわじんじゃ)

神社の由緒

創建は第12代景行天皇の御代と伝わっています。初代神武天皇が東征の際に美々津港より出港されたお船出の地で、御祭神は海上の守護神である底筒男命(そこづつのおのみこと)、中筒男命(なかづつのおのみこと)、表筒男命(うわづつのおのみこと)と神武天皇です。神武天皇が東征出港の際、海の守護神である御祭神に戦勝と航海の安全を祈願したと伝えられています。
1578年(天正六年)に豊後大友氏と薩摩島津氏との合戦があり、その戦火により社殿及び宝物、貴重なる文献等は消失しましたが、1623年(元和九年)に再興されています。
神武天皇東征のお船出から2600年の記念事業により1934年(昭和九年)に境内の拡張および社殿の修築が行われています。

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立磐神社鳥居

みどころ

神武天皇御腰掛の岩

社殿手前右手にあります。東征で美々津港を出港する神武天皇がこの岩に腰かけて指揮を執ったと伝えられています。岩そのものを御神体として玉垣をめぐらし祀っています。

御神体の腰掛石

御神木

立磐神社の御神木のクスノキです。社殿手前の参道を左から遮るように根が張り出しています。樹齢300年^400年と言われていて、根元には赤い鳥居が納められています。昔は子どもが中に入って遊べるほど大きかったのですが、楠の木の成長とともに小さくなったそうです。
立磐神社のホームページに『参拝の折りには、木の肌に触れ、生命のいぶき・パワーを感じていただけると幸いに存じます。』と記載されています。

御神木のクスノキ

日本海軍発祥之地碑

日本の海軍の基をたどれば、神武天皇が東征の折りに軍勢を整えお船出をしたことに行きつきます。そこでこの地が日本海軍の始まりとして、紀元2600年の宮崎県奉祝記念事業のなかで1940年(昭和15年)に建てられました。
建立は1942年(昭和17年)ですが、太平洋戦争終了後に進駐米軍により碑文が破壊され、1969年(昭和44年)に復元されています。

日本海軍発祥之地碑

美々津の街並み

日向市美々津地区は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。江戸時代末期から昭和初期にかけて建てられた家屋が並んでいます。 御祭神神武天皇の御代は「美々津千軒」と言われるほど栄え、元禄年間には廻船問屋や商家が多く建ち並んでいました。

美々津の街並み

御朱印

立磐神社の御朱印です。初穂料は300円ですが、頂ける社務所の場所が神社から少し離れていて分かりづらいです。神社鳥居を出て右に400mほど進んで右に入ったところにあります。途中『橋口氏庭園 立磐神社社務所』という看板がありますので目印にしてください。
通常は手書きですが、留守の場合は書置きとなるとのことです。

立磐神社御朱印
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アクセス

国道10号線の耳川にかかる美々津大橋のたもとから少し入ったところです。宮崎方面からは橋を渡る手前の交差点を右折、日向市方面からは橋を渡ったところの交差点を左折します。少し進むと重要伝統的建造物群保存地区になっている古い町並みが出てきますので左に曲がるとあります。

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