青島神社

青島神社社殿

青島神社(あおしまじんじゃ)

神話とのゆかり

青島神社の御祭神彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)は山幸彦命として「海幸・山幸神話」でも有名な神様です。海幸彦・山幸彦は母コノハナサクヤヒメが神の子の証として炎が燃え盛る産屋で生んだ子です。
兄の海幸彦は海で漁を、弟の山幸彦は山狩りをして暮らしていました。ある日、兄弟はお互いの道具を交換してみようというこになり、山幸彦は兄の釣り針を借りることになりましが、魚は全く釣れないどころか大事な釣り針を海に落としてしまいます。兄の海幸彦は怒り、弟の山幸彦を許しませんでした。
困った山幸彦は塩筒大神(しおづつのおおかみ)から海の神殿へ行くと良いと言われ、海神の綿津見神(わだつみのかみ)が住む宮殿へと向かいます。 そこで山幸彦は、海の神の娘である豊玉姫命(とよたまひめのみこと)と出会い結婚しました。
海の神と豊玉姫から宮殿でおもてなしを受けている間にあっという間に3年が経ち、困った山幸彦が兄の釣り針のことを海神綿津見神へ相談したところ、鯛ののどに刺さっている釣り針を見つけることができました。
見つかった釣り針を持って帰るとき、綿津見神から「塩満瓊(しおみつたま)」と「塩涸瓊(しおひるたま)」を授かり、陸に戻って意地悪をする兄の海幸彦を塩満瓊で溺れさせて懲らしめました。謝ってきた兄を許し塩涸瓊で助け、服従の誓いを受けて、その後日向の国を統治することおなりました。
その後豊玉姫との間に子が生れることになりますが、この話は鵜戸神宮の話へと続きます。(>>>鵜戸神宮のページへ

>>>宮崎神話が5分で理解できる簡単解説ページ
青島神社鳥居 鴨就宮

神社の由緒

御祭神彦火火出見命が海神の宮殿「海神宮」から戻られた際にこの地でお宮を営んだ御宮跡と伝えられていますが、1662年(寛文2年)の大地震で旧記古文書類が失われたため詳細は不明となっている。
創建の年代は不明ですが、約1200年間前の書(日向土産)に「青島大明神」と記載がありそのころからすでに崇敬されていたと推測され、1503年(文亀3年)に伊東尹祐によって再建されて以降は飫肥藩の篤い崇敬を受け、幾度にもわたる社殿の造営や改修がおこなわれてきた。
また、1737年(元文2年)まで入島は神職と島奉行のみに限られ、村民は対岸の現青島海水浴場に拝所を設けて遙拝していたと伝えられています。
その後、1881年(明治4年)に境内地が国有地となったが、戦後の1949年(昭和24年)に国から返還され今に至る。
御祭神は、「彦火火出見命」、「豊玉姫命」、「塩筒大神」の3柱が祀られていて、ご結婚された二柱を」祀ることから、縁結びや安産のご利益に信仰が篤く、他にも交通・航海安全などのご利益があるとされています。

青島神社神門

みどころ

青島神社元宮

神社社殿の右脇の通路を奥へ入っていった島の中心部にあります。元宮があるこの地からは古代信仰の聖域として祭祀に使用されていた勾玉や土器、獣骨、貝殻などが多く出土されています。古代祭祀跡に大元の社殿があったことから、その御礼の安寧を祈り再建されています。
古くから病気平癒や婦人病に霊験あらたかとされ、元宮に髪を結び帰るという信仰があったそうです。
大正天皇の御成り以降、多くの御皇族にも参拝戴いており、現在でも参詣が絶えることがありません。

元宮

真砂の貝文

青島約2400年前の隆起海床に貝殻が堆積してできた島です。そのため、青島は別名「真砂島」とも呼ばれています。古代万葉の人々は数ある貝殻の中から自分の心情にあった貝を探し、それに願いを込めたそうです。
神社前の浜辺で真砂(青島ではタカラガイを真砂と読んで大切にしています)を探し、自分の願いと思いを込めてこの波状岩にお供えすると、その思いは静かに息づくとされています。

真砂の貝文

天の平瓮(ひらか)投げ

元宮があるこの地は古代祭祀跡として伝えられている聖地で、割れた土器の皿が多く出土しています。土器の皿は祭祀に使う道具の一つであり平瓮(ひらか)と言われ吉凶が占われていました。
この天の平瓮に願いを込めて磐境に投げ、入れば心願成就し、割れれば開運厄祓になるとされる重要な神事です。

<所作>
・投瓮所(とうかしょ)にて磐境に二礼する
・天の平瓮に小声で願いを込める
・磐境に向けて投げる
磐境に平瓮が収まれば心願成就

投瓮所

産霊紙縒(むすびこより)

日本では古来より万物全ての始まりは産霊(むすび)の力から生れると信じられてきました。紙縒(こより)の呪力には、霊的な力でものを結ぶ「魂結び」機能があります。江戸時代には心を寄せる相手を想い、紙縒りを神社の格子や神木に結びつけ、結婚を祈願するということがおこなわれてきました。また、紙縒りは水引として用いられ、色の染め分けや結び方などによって吉凶の差が生じます。「ヒモ」の語源は「引き結ぶ」からきていると言われていて、不思議な力を秘めています。
紐の呪力は、災いや病気を除いたり、恋人に巡り会えるようにといった願いを込めたまじないに用いられることが多いです。この産霊紙縒は願いが解けないよう結びきると良いとされています。

紫色…心身健全(病気平癒・厄除け)
碧色…生業成就(学業・勝利・仕事)
黄色…商売繁盛(金運・幸運・除災招福)
桃色…良縁(縁結び・子授かり・安産・夫婦円満)
白色…心願成就(その他の叶えたい願い事)

産霊紙縒

ご縁継ぎ

ご縁(五円)または護重縁(五十円)をそれぞれ通しに継ぎ、どのような縁を継ぎたいか心の中でお願いしながら、意思臼(石臼)で縁(円)を描くように回します。
ご縁(五円)の人は1周、護重縁(五十円)の人は五周です。

ご縁継ぎ

石占 おもかる石

賽銭を入れて願い事を祈念します。その後おもかる石を持ち上げ、その時の重さが自分が思っていた重さより、軽ければ願い事が早く叶い、重ければ願い事成就が遠いと言われる自省石(かえりみのいし)です。

石占 おもかる石

御成道(おなりみち)

1907年(明治40年)10月31日大正天皇が皇太子の時に西国巡幸で青島に来られた時に整備されたのが御成道です。
神門をくぐればビロー樹が生い茂るまるで南国の密林のような景観です。ビロー樹は青島全体に繁茂していて、その数5000本、最高樹齢は約300年と推定されています。ビロー樹の成因には、黒潮にのってフィリピンなど南方から漂着したという説と、数千万年前の地球全体が暖かった頃に繁茂したものが気候に恵まれ今日に残存したとい説と二説あります。

御成道 ビロー樹

掃守神事(かもんしんじ)

青島神社の御祭神である「彦火火出見命」、「豊玉姫命」ご夫婦のご出産に際し、産屋を建てる前に箒(ほうき)を作って蟹を掃い清めたことから、「清掃(掃き清める)」という言葉が生れたと言われています。
以来、「箒」は「母木(ははき)」となって、物事を生成発展させる信仰となったそうです。
賽銭や持ち物(硬貨・お札など)を生命の母なる神水で清め、箒で掃う事で禊となり心身健全・金運財運発展の祈願となります。常に福銭に感謝し、家内安全・事業発展に活用することにより、さらに大神様のご加護を頂くこととなると記されています。

<掃守神事作法>
・まず、願い銭を賽銭箱へ入れる
・蟹ザルに清めたいものを入れる(お金・カード・大事なもの)
・神水につけながら願い事を唱え箒で清める
・水をよく切り元に収める

掃守神事

玉の井

玉の井は海積宮(わたつみのみや)の」入り口にあり、御祭神山幸彦命と豊玉姫が出会われた井戸と伝わっています。周囲が海であるにも関わらず一切塩分を含まない真清水であり、願いを込めた「願い符」を流すと霊力により願いが成就すると伝えられています。

<海積の祓(わたつみのはらい)>
・願い符に住所・氏名・願いごとを書く
・願い符に息を吹きかける
・ご神水器に願い符を浮かべる
・龍の口より手のひらに水をとり願い符に数回水をかける

玉の井

天の御柱巡り

恋愛成就の御柱。男性はハートの左から、女性はハートの右から入り、ハートの中心で向かい合い、男性は「あなにやし、えをとめを」と唱え、女性は「あなにやし、えをとこを」と唱えます。これにて二人の恋愛が成就されると言われております。

天の御柱巡り

御朱印

写真は青島神社の御朱印で、記紀旅2021の記念御朱印です。青島神社の御朱印と日向之国七福神弁財天の御朱印があり二つセットになっています。初穂料は600円で、受付は参道入り口右手の授与所で頂けます。受付時間は8:00~17:00です。

青島神社御朱印
おすすめの御朱印帳

アクセス

周辺の施設・環境

日向神話館

青島神社境内の参道入り口左手にある日本で初めての蝋人形神話館です。天孫降臨から海幸山幸の物語、神武天皇の東征から大和平定までを33体の蝋人形と12の場面で再現した神話資料館です。
青島神社のホームページより割引券が入手できます。

<拝観料>
大 人:600円(割引券提示で500円)
中高生:400円(割引券提示で300円)
小学生:300円(割引券提示で200円)
幼 児:無料
団 体:20銘以上割引
障がい者:半額

日向神話館

鬼の洗濯板

砂岩と泥岩が交互に重なった地層が波により浸食されでこぼこした形となり、巨大な洗濯板のように見えることから「鬼の洗濯板」と呼ばれている。珍しい地形であることから「青島の隆起海床と奇形波蝕痕」として国の天然記念物に指定されています。

鬼の洗濯板

青島亜熱帯性植物群落

青島は周囲約1.5km、面積約4.4ha、最大標高は5.7mで、波蝕台(波食によって生じた海面近くの平坦な岩石地形)の上に貝殻泥砂が堆積してできた島です。島内は28種類の」亜熱帯植物で覆われ、その中でもビロー樹が80%を占め、世界で最も北にあるビローの純林としてとても名高いものとなっていて国の特別天然記念物となっています。
また、海岸には鴨が飛来することから「鴨就島(かもつくしま)」とも呼ばれています。青島神社も古くは「鴨就宮」と呼ばれていました。

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