霧島岑神社

霧島峯神社(きりしまみねじんじゃ)
神社の由緒
天孫降臨の聖地として御祭神には、天照大神より命を受けこの地に降り立った「瓊瓊杵命(ににぎのみこと)」をはじめ、妻となった「木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」、その子と妻である「彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)=山幸彦」と「豊玉姫命(とよたまひめのみこと)」、ニニギノミコトの孫とその妻である「鸕鷀草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)」、「玉依姫命(たまよりひめのみこと)」の皇祖日向三代が鎮座し、創建はその天孫降臨に始まると伝えられている日本最古の歴史的神社である言われています。家内安全・子孫繁栄・縁結び・子宝・子育てにご利益があるとされています。
古くは霧島山の高千穂の峰の中腹に鎮座していましたが、度重なる噴火により焼失、再建、遷座が繰り返され、現在に至っています。
また、十世紀のころ、天台宗の僧侶性空上人が霧島山周辺の5箇所に夷守神社ほか四社を創建し、霧島岑神社と合わせて「霧島六社権現」としました。霧島岑神社はその六社の中央権現です。
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みどころ
神社入り口の仁王像
仁王とは本来仏教の寺院において仏敵辛寺院を守るために門に置かれた一対の半裸形の金剛力士像をいいます。一般に、口を開けた阿形、口を閉じた吽形ともに勇猛・威嚇の相をとります。神社である霧島岑神社に仁王像があるのは、神仏習合を今に伝えるものであると考えられます。
霧島岑神社の仁王は雛守大権現時代に奉納された像です。ここ西諸県の郷は江戸時代の中期1716年(享保元年)の2月の新燃岳の巨大噴火で甚大な被害を受けたおり、霧島山の怒りの鎮魂、災害からの復興、五穀豊穣祈願などの祈りとして奉納されたものです。

厳かな雰囲気の表参道
本殿までまっすぐ続く表参道は、両サイドを森林に囲まれた森のトンネルをくぐり抜けていくイメージで、厳かな空気が漂い、この空間を抜けることで穢れが清められる様な感じがする参道です。苔に覆われた石段も神秘的な空間へいざなうための演出となっています。
本殿へは、北参道を通って車で直接行くことができますが、この表参道を通ることを強くおすすめします。

室町時代の古石塔
神社境内の拝殿に向かって左側の階段を上って右側へ30mほどのところにあります。
夷守神社の別当「三峯山宝光院承和寺」の跡地に立つ石塔で、中央に梵語で「バン」と彫られていて、金剛界大日如来を表しています。真言密教系の僧が1500年に寄進したと書かれています。

繭神社
少しめずらしい形をした本殿で、お社には蚕の繭が奉納されています。御祭神は「大気都比売命(オオゲツヒメノミコト)」で蚕を生んだ神様です。
神話上では、お腹を空かせたスサノオノミコトをもてなすため、オオゲツヒメノミコトはとても美味しい料理を振舞うのですが、その料理はオオゲツヒメノミコトの吐しゃ物や排泄物から作られていて、それを知ったスサノオノミコトが汚物を食べさせたと怒って殺してしまうという話です。その時の死体からさまざまな穀物が生まれ日本の国土を豊かにしたと伝えられています。目からは稲が生まれ、耳からは粟が生まれ、鼻からは小豆が生まれ、お尻からは大豆が生まれ、そして頭から生れたのが「蚕」でした。

お熱の神サァ
表参道入り口にそびえたつ巨木で、宮崎県のの巨樹100選にの一つに選ばれるイチイガシの樹です。樹齢はおよそ400年、幹回りは590㎝、樹高は38mもある巨木です。
この木の根本は祠になっており、古より「お熱の神サァ」と言い伝えられており、子供が熱を出したときにここにお参りし、病気の平癒・健やかな成長を祈願したと伝えられています。
地区の古老の話では、竹(コサンダケ、ニガタケ等)を腕ほどの大きさに束ねてお供えし、祈りを捧げていたそうです。神社によると今でも多くの参拝があるそうです。

もてなしの手水舎
入り口仁王像を過ぎた表参道入り口のすぐ左手にある手水舎です。きれいな花が浮かべられていて、参拝する方へのおもてなし心配りが感じられて嬉しいですね。

御朱印
霧島岑神社の御朱印です。力強い筆圧で見事な御朱印です。初穂料は600円で、境内脇の社務所で頂けます。受付の時間は9:00~17:00となっています。

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