野島神社(のしまじんじゃ)

野島神社(のしまじんじゃ)

野島神社(のしまじんじゃ)

神社の由緒

野島神社が所蔵する棟札によると創建は西暦1446年(文安三年)と記されており、もとは「白鬚大明神」と呼ばれていましたが、1872年(明治5年)に野島神社と改称されています。
野島神社には浦島太郎を祀る伝承が残されています。西暦949年(天歴三年)に野島の浦人橘尊俊という人が白髪の老人に出会い、私をここに祀ってほしいとお願いされたそうです。その後建てられたのが野島神社であり、その白髪の老人こそが浦島太郎とされています。
御祭神は、塩筒大神(塩・造船・生花・料理の神様)、猿田彦神(商売繁盛・安産・長寿祈願・五穀豊穣・交通安全の神様)、住吉三前大神(上筒大神・中筒大神・底筒大神)(漁業の守護神・縁結び・子授けの神様)です。
また、野島神社には500年の伝統を誇る「野島神楽」が宮崎市無形民俗文化財に指定されており、毎年11月23日の午後から夕刻にかけて、五穀豊穣・子孫繁栄・航海安全・豊漁などの願いを込めて奉納されています。現在は33番のうち22番ほどが伝承されています。

野島神社社殿と鳥居野島神社社殿と鳥居

みどころ

御神木の夫婦あこう

樹齢400年のあこうの木で、1941年(昭和16年)に国の天然記念物に指定されています。あこうは亜熱帯性の常緑高木で葉を乾かして焼くとよい香りを発するので、沈香木(じんこうぼく)とも呼ばれています。
野島神社境内には3か所にあこうの木が自生しており、そのうち境内の中心にそびえる2本のあこうは、お互いの枝が結びつき一体化し、さらに新しい数本の枝が気根となり地表へ降り幹となり大樹のように成長しています。
この2本の夫婦あこうの間をくぐる「あこうくぐり」をおこなうと、縁結び・夫婦円満・子孫繁栄・家内安全・健康長寿の御利益があると言われています。

御神木の夫婦あこう御神木の夫婦あこう

降り龍・昇り龍

御神木の夫婦あこうから地表へ延びる幹は、その成長過程の樹形から「降り龍・昇り龍」に例えられています。天から地上に降りる「降り龍」は幸福を届け、地上から天に向けて伸びる「昇り龍」は全ての運気が上昇すると言われています。
元々2本だったあこうかの木ら伸びた枝が気根となり天地に勢いよく成長している様は、まさに龍が天に昇る勢いを感じます。あこうの降り龍・昇り龍は、見る人の気持ちや心構え、時間や季節などで様々な見え方をすると思われます。勢いを感じてそのパワーをもらってください。

降り龍・昇り龍降り龍・昇り龍

子授け祈願の御神木

もう一つの御神木である「モクタチバナ」は、亜熱帯地方に分布する常緑性の低木で通常は2mほどにしか育たない木ですが、稀に10mを越えて育つことがあると言われています。この野島神社に自生するモクタチバナは、まさに神様のご加護のもと御神木にふさわしい奇跡の成長を遂げているものと思われます。
毎年11月23日に奉納される野島神楽の舞で使われる杵はこの御神木で造られており、子授け祈願の御利益があるとされています。神楽舞の当日には県内外から多くの方が祈願に訪れます。

子授け祈願の御神木「モクタチバナ」子授け祈願の御神木「モクタチバナ」

手水舎

鳥居をくぐった境内にある手水舎では参拝される方へのおもてなしとして季節や時期により様々な装飾がほどこされています。御神職の方の心遣いがとてもありがたいです。

色とりどりの植物で飾られている手水鉢色とりどりの植物で飾られている手水鉢 宝石がちりばめられているような手水鉢宝石がちりばめられているような手水鉢

浦島の亀石

浦島太郎伝説が残る野島神社には浦島太郎が一緒に乗ってきた亀が石化した「浦島の亀石(神石・叶石)」と呼ばれる石があります。祈りを込めてなでると願い事が叶うと言い伝えられています。

御朱印

野島神社の御朱印です。社殿の中に書置きが置かれていますので、賽銭箱へ初穂料500円を入れて頂きます。時期や天候等により変更が有りますが9時~17時の間で頂けます。

野島神社の御朱印(10月)野島神社の御朱印(10月)

野島神社の御朱印はそれぞれの月によって違った物が置かれています。また、合格成就や家内安全、安産祈願などそれぞれの祈願内容によっても違う御朱印が準備されています。

さまざまな御朱印さまざまな御朱印
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アクセス

宮崎市と日南市を結ぶ海岸線の国道220号線沿いにあります。宮崎方面の青島からおよそ8km、車で10分ほどの距離にあります。日南市方面油津からは約25km、車で30分ほどの距離です。

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