潮嶽神社

潮嶽神社社殿

潮嶽神社(うしおだけじんじゃ)

神社の由緒

潮嶽神社は全国で唯一「海幸彦命= 火照命(ホデリノミコト)」が祀られている神社です。ホデリノミコトは、ホスセリノミコト、ホオリノミコト(火遠理命=山幸彦命)との三兄弟で、父瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と母木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の間に生まれた子です。海幸山幸の神話で有名な神様です。また、南九州に居住する氏族である「隼人」の祖であるともいわれています。
弟の山幸に貸した釣り針が失くなったことがきっかけで争いごととなり、敗れた海幸は磐船(頑丈な船)でこの地にたどり着き、お宮を建て久しく統治されたと伝わっています。神社周辺には、潮満玉や潮干玉に由来する越潮山・潮越山を望むことができ、神社の向い側には乗って来た磐船が沈んでいると伝えられる賢所(かしのっこ)や山幸彦に服従を誓ったとされる誓いの森がありあす。また、神社から西へ2kmほど離れたところには海幸彦命の御陵とされている大塚(王塚)古墳などが現存しています。
鎮座は神武朝の頃と伝えられ、海幸山幸の神、農耕の神、開運・心願成就の神、郷土の産土神として世々の領主、地頭、藩主から一般庶民にまで崇敬されています。江戸時代前期の火災により古文書などの資料が失われ詳細は不明ですが、現在の社殿は1832年(天保3年)に飫肥藩主の伊東公によって寄進されたものです。
現在でも、海幸・山幸の争いにちなみ、縫い針の貸借がタブーとされていたり、初宮詣では額に「犬」の字を書くという隼人の宮廷奉仕の古俗を偲ばせる習俗が残っています。

>>>宮崎神話が5分で理解できる簡単解説ページ
神社鳥居

みどころ

本殿

現在の本殿は今から約200年前の西暦1832年(天保3年)に飫肥藩主である伊東公の寄進による造営にられるもので、流れ造り、三方高欄にて極彩色を施し、組み物並びに唐獅子等の彫刻は雅麗です。本殿、拝殿、祖霊舎には伊東家の庵木瓜、九曜の紋所を掲げています。

本殿本殿 本殿彫刻本殿彫刻

苔むす境内

境内は樹齢400年の大木がそびえ立つ森に囲まれていて、外界とは違った神聖な空気が流れています。境内には辺り一面にきれいな緑の苔が広がっていて、築200年の本殿や風化した狛犬や石灯籠が神社の歴史の積み重ねを感じさせてくれます。
苔には癒しの効果や汚染物質の浄化作用などがあると言われています。参拝するだけでなく、しばらく境内の空気をゆっくり吸ってみてはいかがでしょうか。

苔むす境内苔むす境内 苔に覆われた狛犬苔に覆われた狛犬

賢所(かしのっこ)

潮嶽神社がある宮崎県日南市北郷町北河内の山あいにある宿野地区には小さな森がありあます。その昔、山幸彦命から逃れた海幸彦命がたどり着いたとされる地で、地域の人々は古来より「賢所(かしのっこ)」と呼び、あがめ祀っています。
「かしのっこ」は30m四方の小さな森ですが、森には海幸彦命が乗ってきたとされる磐船が沈んでいると言われており、中に入ると障りがあると語り継がれています。今でも誰も森に入らない神聖な場所となっています。
かしのっこの場所は潮嶽神社の前の道路を挟んだちょうど向い側にあります。写真の森のトンネルの左側の森が「かしのっこ」です。

かしのっこ左側の森が「かしのっこ」

御朱印

潮嶽神社の御朱印です。一の鳥居をくぐってすぐ左側に小道がありますので進んでいくと自宅を兼ねた社務所がありますのでそこで頂けます。初穂料は500円です。受付時間は8:00~17:00ですが、留守の場合もあるので、遠方から来られる方はあらかじめ確認しておいた方がいいと思います。

潮嶽神社の御朱印
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