奈古神社(なごじんじゃ)

奈古神社(なごじんじゃ)

神社の由緒

創建は不明ですが、西暦142年成務天皇の御代13年に竹内宿禰が鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、神日本磐余彦天皇(かむやまといはれひこのすめらみこと)を祀ったと神社の縁起に伝えられているので、それ以前の創建と言われています。
奈古神社は古くは権現と称され、その後神武天皇を宇佐八幡と崇めたことから奈古八幡宮の勅号を得ています。または奈古神社の東側は海であったため奈古岬八幡宮とも呼ばれていました。古来より吾田長屋という地名から長屋神社とも称し、南方・池内・上北方・下北方・花ヶ島・江平六カ村の産土神として崇敬されてきました。また、一説には「宮崎」という地名は、奈古神社の宮の前に広がる土地なのでその地名がついたとも言われています。
御祭神は、天津彦々火瓊々杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)、鵜葺草葺不合尊、神日本磐余彦天皇(神武天皇)の三柱で、豊作・厄祓・家内安全・願い成就などの御利益があるとされています。社殿後方にある小高い森は前方後円墳となっていて、御祭神の瓊々杵尊の御陵とも伝えられています。

奈古神社の鳥居奈古神社の鳥居

みどころ

苔むす静かな参道

鳥居をくぐると神域に入ったと思わせる荘厳な雰囲気の静かな参道が続きます。参道脇には美しい緑で彩る苔が続いています。

苔むす静かな参道苔むす静かな参道

三千日垢離成就塔

境内の左手の方にある「さんぜんにちごりじょうじゅとう」という石塔です。昔、都於郡城主の伊東家より奈古神社宮司へ嫁いだ女性が、夫の死後、女性にもかかわらず神事をつかさどり、男性になることを願い海水での水垢離(みずごり)を三千日行ったところ遂に胸毛が生えてきて男体のようになったという伝説が奈古神社の古文書に記されており、石塔はその悲願成就を祈念して建てられたと考えられています。ちなみに、石塔には「七千日」と彫られていますが神社案内板には「三千日垢離成就塔」として紹介されています。「三千日」と「七千日」のどちらが正しいのかということより、それだけの日数をかけて修行して悲願達成したことを記念しているということです。

七千日垢離成就の石塔七千日垢離成就の石塔

愛宕社

境内左手の石塔の脇の階段を上ったところにある末社の愛宕社です。火防鎮護・願掛けの社で、軻遇土尊(かぐつちのみこと)、火結命(ほむすびのみこと)が祀られています。

末社の愛宕社末社の愛宕社

奈古山稜

奈古神社の社殿裏の小高い森は前方後円墳となっていて、御祭神ニニギノミコトの御陵墓伝承地とされています。奈古神社は宮崎最古の神社とも言われ、日本開闢史の中では「鎌倉時代に奈古神社より御分霊をお持ちし神武天皇社を造る」と書かれていることから宮崎神宮の元宮とも言われています。明治時代は奈古神社が宮崎神宮大祭の御神幸祭(神武さん)のスタート地点だったそうです。

本殿裏の奈古山稜本殿裏の奈古山稜 神社の西側から見た奈古山稜神社の西側から見た奈古山稜

アクセス

国道10号線北バイパスから県道9号宮崎西環状線へ入り、綾・国富方面へ向かう途中にあります。国道10号線からは約2kmほどで、県道9号線から少し入ったと所です。入り口には案内板がありますが小さいので見落とさないよう気を付けてください。

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