行縢神社(むかばきじんじゃ)
行縢神社(むかばきじんじゃ)
神社の由緒
行縢神社は、西暦718年(養老2年)に紀州(現在の和歌山県)の熊野権現の分霊を勧請し創建された神社で、御祭神は、伊弉冉命(いざなみのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)の三柱です。「行縢三所大権現」と称され、日向の国では著名な神社として代々の藩主からの崇敬も篤かったと言われています。
また、古代の山岳信仰の御神体である「行縢山(むかばきやま)」は、大和朝廷時代の初期に日本武尊(やまとたけるのみこと)が熊襲を征討する際、この地の山の形が乗馬用の毛皮の行縢(むかばき:「向か穿(は)き」の意)に似ていることから「行縢山」の名前が付いたと伝えられています。
行縢神社は、西暦1581年(天正9年)に起きた戦乱で焼失しおり、その後は一時衰退したと伝えられています。その後、領主の内藤家により1752年(宝暦2年)と1759年(宝暦9年)に社殿の造営がおこなわれ、1871年(明治4年)に二十三社の祭神を合祀、翌1872年(明治5年)に郷社に列せられています。現在では合祀により日本武命ほか26柱の御祭神が鎮座しております。
みどころ
狛犬
行縢神社の社殿両脇には少し変わった狛犬が本殿を守護しています。猿を模したのではないかと言われており、本殿に向かって左側は、1898年(明治31年)の12月、右側は1900年(明治33年)1月に奉納されたもので、「石工萬作 作」の文字が掘られています。左側の狛犬は口元が崩れていますが、神社によると戦後に崩れたようだということです。
御神木の夫婦杉
社殿右奥にそびえる樹齢およそ300年の夫婦杉です。根元が一体となったご神木で、神様の宿り木として祀られています。
この他にも、社殿の左手には「みやざきの巨樹百選」に選ばれている齢200年の「バクチノキ」や境内途中の「さざれ石」の右後方には樹齢300年の「ギンモクセイ」など神的な力が宿ったと思われる樹齢の高い巨木がそびえ立っています。
鎮西社
平安時代末期の武将「鎮西八郎源為朝」が祀られる神社です。身長2メートルを超える剛力無双の弓名人で、九州平定の際に行縢神社へ参籠し、武運長久を祈願して社領三〇〇貫を寄進したと伝えられています。神社の隣の「宮崎県むかばき青年自然の家」の入り口の道路脇には為朝が腰掛けたとされる「鎮西八郎為朝腰掛石」が保存されています。
銭洗い所
神道にとって大切な事の一つが「清浄」であり、お賽銭を納める前に神域の真清水で清めると神様に喜んでいただけるとのことです。また、清めたお金の一部は福銭として持っておくと良いとされています。お札を洗う場合は一部だけ清めれば良いそうです。
さざれ石
神社がある地で産出された「さざれ石」で、氏子の方々が狛犬のように見えるように色々工夫を重ねて設置されたそうです。さざれ石は日本国家にも出てくる石で、長い年月をかけ小さな石が集まって固まり、大きな岩となったものです。
行縢山(むかばきやま)
行縢神社が鎮座する行縢山(標高830メートル)は「奥の院」と称する神体山で、向かって左側を雄岳、右側を雌岳と称し、中央には行縢の滝(箭筈の滝)(幅20メートル高さ100メートル)が流れています。
延岡市の中心市街地から北西の方向にあたり、高千穂町方面へ向かう国道や九州中央道からその姿を拝することができます。行縢山の頂上付近は岩肌がむき出しとなった荘厳な姿をしているので、他の山と区別が付きやすく一目でそれとわかります。
御朱印
御朱印は社務所で頂けます。受付時間については確認できていませんが、朝から夕方の間で、無人の場合は書置きが備えてあります。初穂料は300円で、無人の場合は賽銭箱へ入れれば頂けます。
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アクセス
行縢山の麓にありますので、「行縢山」や「宮崎県むかばき青年自然の家」を目指していくと良いと思います。最寄りのインターチェンジは九州中央自動車道の舞野ICです。ICを降りて国道218号線を延岡方面へ車で1分ほど進むと行縢山への道路案内が出ています。その交差点を左折すれば、あとは案内に従って道なりに進んで行けば着くと思います。
駐車場は、神社の鳥居を少し過ぎたところの道路脇に普通車10台ほどが止められるものがあります。