比木神社(ひきじんじゃ)

比木神社(ひきじんじゃ)

比木神社(ひきじんじゃ)

神社の由緒

比木神社の創建は今からおよそ1800年前の第13第成務天皇の御代と伝わっています。竹内宿禰に命じ国・県・邑・里を定めた時、社領として百町歩を賜り五社大明神を崇め祀ったのが始まりとされています。以来、児湯地域の信仰の中心として住民の篤い崇敬を集め、特に江戸時代には高鍋藩秋月の歴代藩主が深く崇め度々参拝し、社殿の改築や鳥居の建立など多くの寄進をおこなっています。
御祭神は、大己貴命、素盞嗚命、櫛稲田姫命、事代主命、三穂津姫命および百済王の福智王が祀られており、家内安全・諸業繁盛・開運招福・災難厄除け・縁結び・安産・病気平癒・火除け・交通安全等多くの御利益があり県内外から多くの参拝者が訪れています。
主祭神は大己貴神ですが、土地の人々が百済の王族の徳を偲び福智王を神として祀っており、父の危難を知って神門へ赴いて対面したという故事にならい、比木神社では旧暦の12月(新暦の1月下旬ごろ)に「禎嘉王」を祀る美郷町南郷(旧南郷村)にある神門神社を3日間かけて往復する「神門御神幸祭」が1000年以上もの長い間毎年執り行われています。神門神社へ訪れるのを「上りまし」と言い、途中、弟の華智王が戦死した伊佐賀神社で神門神社の代表と顔を合わせ、父禎嘉王の墓所(塚ノ原古墳)を経て三門神社へ訪れます。最終日には、顔にへぐろと呼ばれる墨を顔に塗り、笊などを手にして「オサラバ」と言い合って別れを告げ比木神社へ戻る「下りまし」がおこなわれます。

比木神社鳥居比木神社鳥居

みどころ

御神木の大クス

比木神社の鳥居をくぐって境内に向かう参道の左右には2本の大クスがあります。1596年(慶長元年)の高鍋藩の記録においてすでにこの巨木のクスノキが植えられていたことがわかっています。樹齢はおよそ500年を超え、右手の大クスが幹回り6m10㎝、樹高25m、左手の大クスが幹回り5m50㎝、樹高20mもあります。どちらとも木城町の指定天然記念物になっています。

鳥居の右手の大クス鳥居の右手の大クス 参道途中の左手の大クス参道途中の左手の大クス

御神木のチシャの木

比木神社社殿の裏手に回ると、樹齢300年、幹回り3m60㎝、樹高30mのチシャの木があります。チシャの木は別名カキノキダマシとも呼ばれ、これほど大きなチシャの木は県内でも珍しく、木城町の天然記念物、宮崎県巨木百選にも指定されています。
大クスと合わせこれらの巨木が堂々とそびえる姿は神社全体を見守るかの様相で、参拝者の心に壮大な生命力を訴えようとしています。

巨木チシャの木巨木チシャの木

拝殿の天井画

比木神社の拝殿内の天井には全国から集まった300枚にもおよぶ天井画が貼り付けられています。比木神社の天井画は今から140年以上前の1878年(明治11年)に当時の氏子たちが絵師に頼んで描かせたもので、「長寿」を意味する「鶴」や「子孫繁栄」を意味する「カブ」などの縁起物を絵にして奉納させたものと伝わっています。しかし、雨漏りなどにより劣化が進み、何の絵かわからなくなっているものも出てきており、修復するためその絵を全国から募ったそうです。
2022年の年末に改修工事が始まり年明けの2023年にはお披露目となっています。中には100歳を超える地元の画家の絵や、遠くは関東・東北からも集まったそうです。比木神社へ参拝した後はそのまま拝殿の中の天井を見上げてみてください。

比木神社拝殿比木神社拝殿 天井画天井画

長照寺の井戸跡

比木神社は江戸時代には比木大明神(本尊大日如来)と呼ばれ、境内には真言宗長照寺がある神仏混淆でした。長照寺の住職が比木大明神の宮司も兼ねており、明治になるまでは神仏習合として寺と神社は同じ場所にありましたが、明治になり神仏分離令が出され、寺院と神社が分けられ、比木大明神は比木神社となり長照寺は1871年(明治4年)に廃寺となりました。長照寺は比木神社鳥居の正面にあったと伝えられておりその井戸が復元・移転され当時の地に残されています。

長照寺の井戸跡長照寺の井戸跡

御朱印

神社境内にある社務所で頂けます。ただ、タイミングが悪いと社務所に人がおらず頂けないということも多々あるようです。遠方から来られる際は電話などで確認しておいた方が良いかもしれません。

比木神社御朱印比木神社御朱印
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アクセス

木城町の中心部を流れる一級河川小丸川の南岸にあります。県道40号線から小丸川越しに大きな石の鳥居が見えるのでそれが目印です。県道40号線から西都市方面へ向かう比木橋を渡ってすぐ左手にあります。東九州自動車道高鍋インターチェンジから約6km、車で10分ほどの距離にあります。

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